論田の獅子舞
昔は「さらさ」と呼ばれて、鵰巣(『くまだかす』と読みます)、中組、名花の集落毎にそれぞれ別々に奉納されてきたが、現在では論田の獅子舞に統一され、保存会を結成して、湯殿山神社の祭典ににぎやかに奉納されている。 その昔、論田村の信仰者が、奥の院出羽三山に参詣し、御神札を受けられて、現在の山頂に安置し、そしてこの山を湯殿山と呼び、村内の安全と五穀豊穣を祈願してきたと言われる。 湯殿山の信仰は「さらさ」の奉納が欠かせないので、安政年間に鵰巣組と中組は「ささら」の先進地である三春方部より、名花組は田口方部よりそれぞれ受け入れて奉納を続けて来た。 このように、三組が競って祭典の執行と「ささら」の奉納をしていたが、湯殿山神社が新しく建てられてからは、三光院(現在下名花、田辺角雄氏の先祖)という人が宮司をつとめるようになって、当時、各組約四0戸の人々が奉納争いを沈めて、当番制を定め、祭の執行も輪番制として続けてきたが、現在は三組が一つになって、獅子舞と祭礼も合併して奉納行事も盛大に行われるようになった。 論田獅子舞の特徴 ・3頭の獅子のほかに、もう1頭大人の獅子がいる(全部で4頭)。 ・大人の獅子が先頭を紋付袴姿で歩き、その後ろからハチマキをした子供、3頭の獅子と続く。 ・太鼓の面に3つ巴の家紋。 ・上下とも青色の衣装(赤いはっぴを着ていることもある) |